column

理由があることと理由がないこと by shinya fujiwara

何かをするのに理由がないと不安になってしまいます。
それだけ大人になったということなのかもしれませんが、少しさみしい気がします。

僕がインターネットを使いはじめた10数年前に比べると、日常的にインターネットに接続してコミュニケーションをとる人は圧倒的に増えました。インターネットは現実世界と同様の質感を纏って僕たちの周りをくるくると飛んでいます。

誰が何をしているのか、何を考えているのかがわかるようになりました。
それは僕たちが軽々しく発言するからかもしれませんが、何かの意思表示をするとそれを隠れて誰かが笑っているような気さえします。勝手な妄想なのですがそういう気がしてしまうのです。きっとこれは無意識に僕の姿勢がそういうものになっているからかもしれません。テキストコミュニケーションの悪いところだと思います。

自分の発信、ひいては自分の行動に対しては、誰に言われようと論破されぬよう絶対の一貫性がないと不安に感じてしまうようになりました。それはそれで生き方としてかっこいいですが...。好奇心を失われているような気がしてなりません。一貫性を求める姿勢や因果関係を明確にしておかなくてはならないというこの感じは、社会ではそれぞれの行動に対して目標や成果を求められたりすることも関係しているかもしれません。

そもそも、何かをするのに理由はいらないと思っています。
理由を求めると跳ね返って自分自身が窮屈になります。
そもそも好奇心が人間性を高めると思っているので、人間性を高める妨げになる気がしています。

心ではそう思っているのですが、他人にそういう態度を求めそうになってしまいがちなところを直したいなと思っています。そして自分自身も常に好奇心旺盛でいろいろなことに挑戦する気持ちは忘れたくないです。